「法子………」
 ゲームの後、私は佇む法子の前に転がった。美優もやってきて、やっとこのゲームの主役全員が揃った。バラバラになってから、一日も経っていないのに、何故かこのメンバー全員の顔をいっぺんに見るのはとても久しぶりのように思えた。
 皆の視線を一手に集める法子は、どこを向いていいのか分からないような困った顔をする。
「私の……出番でしたからぁ」
「そうか……」
 怒るというよりも、まず安堵の気持ちが胸を包んでいた。その後、法子を除く全員が、重い重い、しかし全ての不安を込めたため息を吐き出した。
「この子、ずっと病院のトイレにいたんですよ」
 全ての力を使いきった彩は、ぐでんとベッドに倒れ込む。泰紀が優しく彩の頭を撫でる。
「なるほど、どうりで見つからないはずだ。灯台元暮しってやつだな」
「……難しい言葉は使わないで」
 彩も泰紀も法子を責める気は無いようだ。他の皆の同じのようだ。だが、言うべき事は言わなければいけない。それが私の役目だ。
「法子……気持ちの整理はついたのか?」
「……まだです。でも、自分の仕事はやります」
「それじゃ、ダメなのか?」
「……どういう事ですか?」
 法子が顔を上げる。私は法子の前で跳ねる。すると、法子はちゃんと両手でキャッチしてくれる。
「自分の仕事をやって、それでユーザー様が満足してくれる。それじゃ、ダメなのか?」
「……」
 言葉を無くす法子。法子だって分かっていたのだ、そんな事は。ただ、それを認めたくなかっただけ。でも、私達に選べる選択肢はそれしかない。だから、それを精一杯やる事に生き甲斐を見いだすしかない。
 一本しかない道をただただ歩くというのはつまらない事かもしれない。でも、いずれ気づく。その道が他のどの道よりも充実している、と。
「マスター……。許してくれますか?」
 ポロポロと涙を零す法子。私はそんな法子に優しく笑いかけた。
「勿論だとも」
「ううっ……うええん!」
 私を抱き締め泣きだす法子。この時だけ思う。もし人間の形をしていたら、もう少しロマンチックな絵になっていただろうと。
「いい絵なのにすいませんけど。マスター」
 法子の後ろからニョキっと彩が顔を出す。法子は私を床に落とし、今度は彩に抱きつく。……この時だけ思う。やっぱり人間の形じゃなくてよかったと。
「何だ?」
「何だじゃないでしょう。法子の問題だけじゃないんですよ。今、私達が抱えてる問題は」
 すんすん泣く法子を優しく抱き締めながら、彩は少し真剣な顔になる。そうだった。法子が帰ってきた事に気を取られていて、すっかり忘れていた。
「そうだったな。……どうしてユーザー様はまた初めからプレイしたんだろうか……」
 そう。問題はそれだ。あと少しで彩ルートがクリア出来るという所まで来たのに、どうしてユーザー様はまた最初から始めたのだろうか……。
「多分、別のユーザー様なんじゃないでしょうか?」
 美優が顎に手を当て、どこかの探偵か何かのようなポーズで言う。
「別の?」
「そうです。例えば、前までやっていたユーザー様の家に別のご友人がやってきて、こう言うんです。そのゲーム面白そうじゃん、俺にもやらせてくれよって。それで、また初めからゲームが始まった。でも、そのご友人が帰られて、ゲームは終わった」
「という事は、第二のセーブからの再開はすぐには無いって事かしら?」
 真澄も顎に手を当てる。
「多分、そうだと思います。だって、普通の人ならエンディング直前でまた最初からはやりませんよ。大抵は一度クリアしてからだと思うんです。だとしたら、やっぱり別の人だと……」
 美優の言った事にはかなりの説得力があった。確かにその通りだ。普通の人だったら、一度もクリアせずにまた最初からやるなんて事はまず無い。第一、気になるはずだ。クライマックスが。だが、ここからでは外の世界の様子は分からない。果たして本当にそうなのか……。
「ここでは何を言っても結論は出ない。だとしたら、私達のやるべき事は一つだ」
「……両方の事態に備えろ、と?」
「その通りだ」
 実際問題、私達に出来る事はそれだけだ。それに考え方を変えれば、これはいい事なのだ。なにせ、やってくれているユーザー様が増えたのだから。楽しませるべき相手が増えたのだ。これは喜ぶべき事だ。
 その時、再びサイレンが鳴り響いた。本当に早いペースだ。しかし、もう誰も驚かない。
「ユーザーが始まるのはセーブ一と判明。セーブ一と判明。各出演者は急遽セーブ一の準備を……」
「私の狙い通りですね」
 美優がニタリと笑う。
 セーブ一は彩ルートの方だ。美優の話が真実ならば、これをプレイしているのはいつものユーザー様のはずだ。……お友達は帰ったのだろうか?
「さてと、次は私の番ね。泰紀君、行きましょ」
 真澄が首の骨をポキポキと鳴らす。泰紀も立ち上がる。
「そうですね。あともう少しだ」
「最後の最後の私の出番があれなんて、ちょっと嫌だけどね」
「また次があるじゃないですか」
「……そうね」
 含み笑いをしながら、泰紀と真澄は病室を出ていった。そこには迷いも何も感じられなかった。
「じゃあ、マスター。私達も行きましょぉ」
「うむ」
 法子が私を拾いあげる。そして、法子の後に彩や美優、丈一も続いた。


「……もう一度言ってくれない?」
「俺、好きな人が出来ました。霧島彩という人です。正直に言います。今、俺の心にいるのは、彼女です」
 どんよりとした灰色の曇り空の下、病院の裏庭のベンチに腰掛けた泰紀は、隣に座っている真澄にそう告げた。真澄は驚きを隠せないようで、口をわなわなと震わせている。
 泰紀が彩に全てを打ち明けたシーンは既に終わっている。情けない事に、そのシーンは見ていない。しかし、目の前で繰り広げられる泰紀と真澄を見ていると、そのシーンも大して問題無く進んだようだ。
「どうして……どうして事故を起こした人間の娘なんか好きになるのよ! わけ分かんないわ。憎いんじゃなかったの?」
「……色々と彼女と話して、気が変わりました。彼女も、俺と同様に失ったものがあるんです。傷の舐め合いって言い方はよくないと思うんですけど、でも、少なくとも今は、同じものを共有出来る人と一緒になりたい」
「……私はダメって言いたいわけ? あなたの才能しか愛してなかった私は」
「そこまでは言っていません。真澄先生はきっと、俺の何もかもを愛してくれていたと思います。でも……今の俺の気持ちは……あなたじゃないんです」
 泰紀も真澄も、苦渋に満ちた顔をしている。泰紀は迷っていない。しかし、それを伝える事に抵抗を感じているのだ。真澄に対する気持ちに嘘は無い。でも今は、彩の方に心揺られている。
 真澄は立ち上がり、泰紀の肩を激しく揺らす。
「……あれでしょ? 彼女の両親が死んだから、だから、彼女に同情してるんでしょ?」
「! ……どうしてその事知ってるんですか?」
 泰紀の目が大きく見開かれる。
「この前、テレビでやってたもの。結構大きく報道されてたわ」
「そうですか……。確かに同情もあるかもしれません。だから、さっき全てを話してきました。今の俺の気持ちを全部」
 ため息と同時に、泰紀は答える。真澄はゆっくりと泰紀の肩から手を離す。
「で、彼女は何て答えたの?」
 真澄はどこか、もうどうでもいいような態度だ。もう泰紀の心が自分に無い事を知り、自暴自棄になっているかのように見える。
「まだ答えはもらってません。彼女も迷ってるみたいです」
「それはそうよね。自分の両親のせいで、あなたの腕は無くなっちゃったんですものね。いくら好きって言われたって、普通なら付き合わないわよ。申し訳なくってね」
「……」
 憎しみのようなものまで感じられる真澄の言葉。それに対して、泰紀は何の言葉も返す事が出来なかった。
 その時だった。ベンチの後ろの茂みの方で何かが動く音が聞こえた。泰紀と真澄が、同時に振り向く。真澄が立ち上がり、その茂みを覗き込む。しかし、そこには何も無かった。
「何かしら? 今の」
「さあ……」
 泰紀は立ち上がる事も無く、空言葉を漏らすだけだった。
「……あっ! いました!」
 そこに大急ぎで病院から出てきた美優が、泰紀を見つけて叫んだ。その後ろには丈一の姿もある。
 美優と丈一は駆け足で泰紀の元に駆け寄る。尋常ではない様子だった。
「どうしたんだ? 二人共」
「先輩が……彩先輩がどっか行っちゃったんですよ!」
「えっ?」
 彩の切れ切れの言葉に、泰紀の顔が瞬時に険しくなる。丈一は真澄の見るが、すぐに視線を泰紀に戻す。
「彼女、こっちの方に来たはずなんだ。泰紀、見なかったか?」
「いや、見てない……」
 そこまで言いかけて、泰紀はベンチの後ろの茂みを見た。確かにそこで音がした。もしかしたら、それは……。そんな事を思っているだろう、と思わせる泰紀の複雑な表情は見事だった。
「……彼女に全部聞かれたみたいね」
「……」
 泰紀は立ち上がる。
「ちょっと俺。彼女を探してくる」
「どこに行ったのか、分かってるのか?」
「分からない。でも、行かなくちゃいけないだろう」
 そう言うと、泰紀は凄まじい勢いで走りだした。その姿を、美優と丈一と真澄はただ見つめているだけだった。
 しかし、美優が厳しい目で真澄を睨み付ける。
「聞かれてたってどういう事ですか?」
「さっきね、ベンチの後ろの茂みでガサガサって音がしたのよ。きっと、その子よ」
「どんな事話してたんですか?」
「普通なら、申し訳無くって付き合えるわけないって言ったのよ」
「! どうしてあなたそんな事を!」
 肩を震わせて激昂する美優に、真澄も鋭い目付きになる。
「聞いてたなんて知らなかったのよ! それにね、私は泰紀君を愛してるのよ。出来れば付き合ってほしくないかないわ。私は自分に正直に言ったつもりよ。あんたが誰だかはよく知らないけど、知った口聞かないでよね」
「くっ……」
 美優は激しく歯軋りをする。そんな美優の肩を、丈一が優しく撫でる。
「美優ちゃん、落ち着きなって。……真澄先生。先生が何言おうとも、あいつの心は変わらないと思いますよ」
「……丈一君。確かあなた、私に気があったわよね。そう言って私を落胆させて、それでまた私にアタックでもする気?」
 真澄は見下すような、卑下た視線で丈一を見る。丈一は肩で小さくため息をつくと、ベンチに腰掛けた。その隣に美優が腰掛ける。
「真澄先生。泰紀の才能が開花できなくなった僕にまだ気があるんですかっていう問いに対して、先生何も答えなかったらしいですね。泰紀から聞きました」
「……」
 丈一がそう言うと、真澄は気まずそうに顔を反らす。
「きっとその瞬間から、先生と泰紀の間には見えない壁が出来てしまったんでしょうね」
「……ううっ」
 その言葉を聞いて、真澄はしばらくはそのまま顔を反らしていたが、やがてその場に崩れ、そのまま小さな嗚咽と共に泣きだした。その様子を、美優と丈一は黙って見つめていた。
「美優ちゃん。泰紀はきっと霧島さんを見つけてくれるから、心配無いよ」
「……そうですね」
 美優は泣き崩れる真澄をじっと見つめながらそう呟いた。
 空からは、ポツポツと雨が降り始めていた。


「私……完全に悪役じゃない」
「まあ、仕方ないんじゃないですかぁ? 好きな人を寝取られたんですから、ああなってもしょうがないですよぉ」
「寝取られたって……法子ちゃんが言う事じゃないわよ」
「そうですかぁ?」
 法子の言葉に、真澄は半笑いするしかなかった。最後の大舞台だっただけに、真澄の演技は凄かった。が、それをお首にも出さないところが真澄らしい。
「つっ、疲れたね……。美優ちゃん」
「はい……。気合い入れましたからね」
「これで終わりだと思うと、ちょっと淋しいかな……」
「次に期待しましょう。次に」
「だね」
 こちらも最後の出番となった美優と丈一。二人はベンチの上で見事にグロッキーになっている。見事な演技だったのだから、今は何も言うまい。
「んもう! ここまで来たなら後はエンディングまで一直線なのにぃ! 何でチャッチャッとやらないのかしら?」
 そしてこれから最大のクライマックスをやる事となる彩。そんな彩は頬を膨らませてぼやく。泰紀が隣で笑う。
「デザートは最後の最後って相場が決まってるじゃないか」
「早く食べないと腐るわ」
「ちゃんと食べてくれるから、心配するなよ」
 ラブラブモードまで一直線の二人は、現実でもかなり親密になってきている。このまま行けば、最高の演技が見られそうだ。
「……」
 後は本当にもう後少しだ。選択肢ももう無い。泰紀と彩の演技以外に心配する事は何も無い。色々と問題も多かったが、これでようやく大きな波を越えられそうだ。
 空は相変わらず曇り空のままだったが、ユーザー様が次をいつ始めるか分からない為、天候を変えるのは得策ではない。しかし、そんな空の下でも、皆は実に陽気だった。
「ようし、みんな、聞けい! あともうちょっとだ。真澄、美優、丈一、本当にいい演技だったぞ。泰紀と彩。あとはお前達二人だけだ。気合い入れていけよ!」
「言われなくたって、そのつもりだっつうの!」
「ご心配なく。ちゃんとやってみせますよ」
 泰紀と彩は肩を抱き合い、まるで戦友か何かのように顔を見合わせた。
「……んっ?」
 と、その時、彩が何か気づいたような声をあげた。その瞬間、何故か彩は泰紀の肩を離し、パタンとその場に倒れてしまった。
「彩? ……どうしたんだ?」
 泰紀が声をかける。が、彩はピクリとも動かなかった。目も口も開けたままで、まるで突然彩の時間だけが止まってしまったかのように見えた。
「おい! 彩! どうしたんだ?」
 私は彩の胸の上に飛び乗り、激しくバウンドする。その瞬間、彩の体に数本のノイズが走り抜けた。その衝撃で、私は激しく弾かれた。
「うおっ!」
 弾かれた私を、法子がキャッチする。
「マスター。だっ、大丈夫ですかぁ?」
 法子が私に声をかける。が、私はそんな事よりも、彩の体に走ったノイズの方が気になっていた。
「これは……まさか」
 私の脳裏に最悪の出来事が浮かんだ。


第5章・完
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